美濃加茂市の再生
全国で現役最年少市長が誕生し全国NEWSやmixiの記事にも上がった美濃加茂市市長選挙。この選挙は変化を求め若い力に活路を求める市民の票が勝ったと言われている。
前市長が病気で退職する前から日本ライン下りやソニー子会社の撤退が続き観光、産業共に痛手を負った美濃加茂市の市長選挙だったが、実は二人の候補者の訴えに差は少なく変化を訴える現市長も前市長の後押しを受け前市長の市政を継承すると訴えていた。しかしここで疑問が沸く…継承すると言う事に対し本当に期待する変化が起きるのか…。そして現市長が最初に決断した事が“市職員の給与は維持”という変化だった。
全国紙に載った市長の話題は今でもローカル面で話題になり、新しい記事にも新しい企業誘致を目指すと書かれていたが新しい工業団地が出来た市ではソニー子会社の跡地以外にも集める企業の数は多く、トップ営業を行うと言った市長の営業ノルマは少なくないのが現実、そして近隣の市や町にも工業団地が開発されている現状となればライバルは自然と多くなる
美濃加茂市は中仙道の太田宿があった古い街であり、太田宿跡には脇本陣が残っている。先日太田宿を歩いてみたが新しい施設は出来たが正直活用されているか疑問が沸いた。
20年前になるが私は彦根市にあった短大に通い都市計画や住宅を主に研究する教授のゼミに入った。彦根市と言えば“ひこにゃん”で有名な街だ。そして近くには長浜市があり“黒壁スクエア”で観光的に有名になっている。私が彦根市に居た時は長浜市も彦根市も再開発に力を入れ始めたばかりだった記憶がある。当時ゼミの教授の紹介で長浜市の再開発事業について市職員の方から話を聴いた事があった。実はその再開発地こそ黒壁スクエアだったのだ。当時の黒壁スクエアは小さな商店街で今の姿とはまったく違い寂しい街だった印象がある。再開発に対し市職員の方の苦労話も聴き現実の厳しさや本当に出来るのか…?という疑問が沸いたのも覚えていたが、妻と結婚前に黒壁スクエアの街を観た時正直市職員の方々に拍手を贈りたい気持ちになった。
今は住宅を主に設計監理をしているが実は短大での卒業論文は住宅ではなく“美濃加茂市再開発”だった。美濃加茂市も当時から再開発の話はあった。その事もあり私はその事を卒業論文にした。だからこそ解るのだが一見姿を変えた美濃加茂市に思えるが実は再開発という視点で言えば20年前から殆ど変わっていないのだ。
再開発に力を入れた街と再開発に力を入れなかった街の姿の違いは財政をも変えている。そして忘れてはいけない事は今までにソニー以外にも撤退・縮小した大手企業がある事だ。その企業は何故撤退したのか?縮小したのか?
その問題を解決しなければ市が抱える問題の根本的な解決にはならず、市の再生など出来ないのではと私は思う。
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