建設中の現場【白川村編①】

昨年、冬に入ろうとしている頃から白川郷で有名な白川村で農業用の倉庫を監理しています。

雪が降る前に基礎工事を済ませた現場は、春の到来を待ち雪解けしてからの施工(建て方)となりました。

4月に入っても雪はまだ残っていたのですが中旬を過ぎた頃には現場の雪も解け、施工が再開された18日には無事に建て方完了です。

お施主様や施工業者様に報告を受け

 

いざ白川です

事務所から高速で約2時間(私の場合は美濃インターから荘川インターまでの区間だけ高速走行ですから、休憩をはさみ約2時間半)で世界遺産白川郷がある白川村に着きます。遠い様で意外と近い白川郷は今は桜も見頃で(写真は撮りわすれ)仕事の事も忘れてしまいそうな景色を見ながら現場に到着しました。

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現場には、基礎屋さんが外周の立ち上がりを施工、順調に工程が進んでおり私も監理者として基礎屋さんと確認をしながら鉄骨部の確認も行って行きました。

この現場のお客様は大田ファームさんといい、10年ほど前に農業を始めたばかりの御夫婦で奥様が以前私が勤めていた会社での同僚というご縁で依頼を受けたのですが………

久しぶりに会い話を聞くと、御夫婦の頑張りに脱帽でした。(何に脱帽したかは、私が語るより大田ファームさんを検索してみてください)

そして昨日は(また)お昼飯も頂いてしまったのですが、その合間に少しだけお手伝いをしながら農業の話を聞かせていただきました。農業って…想像以上に頭使うんですね!そして道具もいろいろ考えられていて

ヘーヘー

の連続でした。

次はスラブ配筋の確認に伺う予定ですが、その頃は田植えの時期かな。

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道草で寄った帰雲城址と番宣?

お久しぶりのブログです

前回の日記が元号発表の日ですから

お久しぶり所の話ではないですよね。

此処まで間が開くと、色々な事があるものですが

それは追々記事にするとして…(ヲイヲイ

現場からの帰り道などには興味が沸く看板が沢山あり

先日もフラフラと立ち寄った場所が↓になります

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石碑の字を読めば解りますが帰雲城址です。帰雲城は岐阜県白川村にあったとされ内ケ島氏(白川氏)の居城だったそうですが、1586年に起きた天正地震で帰雲山が崩壊し埋没したとされており実際の位置は現在も解らないまま

石碑が建つ場所は推測(ウィキを読むと夢でみた)だそうですが、帰雲城址には埋蔵金伝説もありロマンを感じますね~

でw

今回、悲願?の帰雲城址に立ち寄る事が出来たわけですが、そのおかげ様である現場が白川村にあるんです。

そして本日21時よりCBC開局65周年の番組として天海祐希さんと友近さんが、そんな(どんな?)白川郷を二人旅されます

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とっても楽しそうなお二方ですから番組も楽めそうですが、この番組におかげ様(マテ)のご家族が出演されるそうで二重の楽しみです!

お米は美味しかった筈ですよ!

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新元号

新元号が発表されました。

令和

個人的感想ですが、いいと思います。

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樹木の剪定

事務所に掛けられているカレンダーは残り一枚になりました。

あっ!

と言う間に師走となり今年も殆どブログの更新をする事も無く終わってしまいそうです。

少し前の事ですが、この時期になると我が家(事務所)に植えてある木々の剪定を行います。この剪定作業は体力がいる作業であり大変な思いをしますが、この剪定をさぼると見た目も悪いばかりか、木々に対して後々の生育にも影響するので手を抜く事は出来ません。

・・・と言う事で剪定に関しては素人の私ですが頑張りました

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こんな感じになりました。

写真の木は一番大きな木で、脚立に昇ったり降りたりしながら剪定を進めていきました。写真は剪定後だけなので、どの様に変わったか解らないと思いますが、剪定前はトトロの木だと言われた事もあるので、トトロの木が卵型になったと思って貰えると良いかもしれません。

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避難所生活の改善を

平成30年7月豪雨により被害を受けられた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く復旧されますようお祈り申し上げます。

前回の記事にも書きましたが、私の住む街では先日の豪雨の一週間前に起きた災害の影響で断水になりました。結果として断水は2日間だけだったのですが、断水した当初から復旧の見込みは経たないという行政の発表に多くの方が翻弄されたていました。

この事もあり、断水だけだからと思いながらも気分的に疲れてしまっていた事を今でも思い出します。そしてその時感じたのは、さらに酷い災害が起きた時、年老いた父や母の健康を維持する事の困難さ・・・特に父は障害者であり、多くの人が居る避難所には連れては行けないと改めて感じました。

そんな事を考えてすぐの今回の災害では岐阜県でも被害があり、多くの人達が避難所で暮らして居ます。そしてNEWSでは避難所生活で体調を崩した方や、おそらく避難生活の影響で亡くなられた方・・・そんな報道を目にする度に、被災者の事を考えるのなら、避難所云々ではなく行政がホテル等の借り入れを行い被災者を守るべきだと思うのです。

いつまでもいつまでも、体育館などの避難所に入れておくような話ではありません。それにです。災害が起こる度に避難所について話が出るのに一向に改善されないのか・・・勿論簡単な話ではないとは思いますが、いつまでたっても改善されない行政の対応に苛立ちを覚えてしまいます。

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美濃加茂市の断水

下呂市内で降った大雨の影響で飛騨川の水質が悪化し、美濃加茂市内の浄水場が稼働しなくなり市内の一部地域では断水が6月29日の午前中から7月1日の朝まで続いていました。

我が家も断水の対象区域だった為、この2日間は断水が続いていた訳ですが、ある意味貴重な体験をする事となりました。

実は、飲料水や雨水を確保し災害時に備えていた為、少し気持ちの余裕があった訳ですが、経験してまだまだ備えが足らないのだと実感。断水中にポリタンクを一つ追加した程です。

今回一番不便に感じたのがトイレ。水洗トイレというのは、水がなければ機能しないのです。我が家のトイレはタンク式なので、突然の断水にも1回は使用可能なのですが、その一回を使用すれば、もう使えないのです。水は用意出来ていたとはいえ少しの水では流れない現実・・・。震災時避難所の衛生面が問題視されましたが、想像以上に切実な問題だと言う事を恥ずかしい事ですが改めて実感しました。

給水所にも足を運び水を頂いてきましたが、タンクいっぱいになった水を見ると、それだけで幸せを感じずにはいられなくなり、暑い中給水作業をする職員の方々が神々しく思えてしまったのは私だけでしょうか。ただポリタンクが用意できず少しでも水が欲しいと来られていた方も居たようで、この辺りは個人的に準備をする事も大切ですが、皆で助け合う事も考慮にいれないといけないのだなと…。

そしてもう一つの問題は老人などの健康面です。この断水期間中、父の健康状態が悪くトイレを使用する機会も多かったのですが、これで電気も使えず暑い中で過ごさなければならなかったと思うと、ゾッとします。

災害時にも困らない様に、もっと備えをしなければなりませんね。

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謹賀新年

新年

亀更新のブログですが

今年もよろしくお願い致します

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気がつけばあと2日で12月

あと2日で12月に入ろうとしていますね

今年もあっという間に終わってしまいそうです

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写真は現在施工中の建物ですが、先週には足場も外れ全景が現れてきました

此処まで来ると工事もあと少しだと実感しますね

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豊洲の問題

ワイドショーネタになっている豊洲問題ですが、最近では京都大学院藤井教授が技術者的には安全であると訴え、建築エコノミストである森山氏の意見に対抗しています。

このお互いの意見の違いから建築知識の薄いジャーナリストさん達の意見もバラバラになり、何が本当なのか見失いそうな状態です。

そんな時は原点に戻ることが大切

・・・

豊洲は当初から安全性について疑問視されていました。その事もあり東京都は豊洲の安全性について検討を行い、安全である理由をHPなどで公開していました。

その安全性の根拠が盛り土だったわけです。

今回の豊洲の問題はその安全性の根拠がなくなった事が発端となっています。

・・となれば・・・

重要なのは地下空間が云々という事ではなく安全性について、盛り土を止めた代わりに
どんな処置を施したのか?

って事ではないでしょうか。



確かにモニタリング出来る空間も必要ですし設備的にメンテナンスが出来るピットも必要です。しかし汚染を食い止める措置は何処にあるのでしょうか?

藤井教授は地下水の管理(ろ過)システムを安全性の根拠にあげています。たしかにそのシステムが安全性の根拠であれば良いのですが、東京都はその事を何も言っていませんし、現在はシステムを動かしてモニタリングをしている最中なのです。

・・・と言う事はです・・・

豊洲は安全だと言える根拠は今現在、存在しないと言う事になります。

そして今は、盛り土が建物下になくても安全なのか検証結果を待っている状態だと言う事なのです。

☆おまけ☆

ある建築雑誌で豊洲問題について今までの経緯が載っていましたが、同じ雑誌に豊洲を設計した日建設計の方の記事が載っていました。大きな会社ですので、この方が豊洲に関わったか解りませんが、建物の社会性についても書かれあり・・・読みながら・・・ちょっと皮肉な記事になってしまった様な気がしました。

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熊本地震における新耐震基準の木造建物

熊本地震が起き、益城町で新耐震基準の木造建築物の被害状況に関する記事が出ていました。

新耐震基準でも1割倒壊=益城町の木造建築物-熊本地震

記事にも書かれていますが新耐震基準には

①:1981年に導入された新耐震基準

②:2000年6月以降に厳格化された耐震基準

の二種類があります。

木造の耐震診断に興味がある方もいらっしゃるでしょうが、行政の無料耐震診断の対象となるのは、この新耐震基準前の木造住宅となります。

私の家は①に該当されるのですが、自分で耐震診断を行った事がありますが、残念な事にあまり良い結果になりませんでした。

その結果をよく見ると筋交いなど耐力壁をバランスよく多めに入れたのですが地耐力が不安なため、実際の地震よりも、より強く揺れると計算では判断したようです。(当時は地盤調査も今ほどメジャーではなかった)

他にも新耐震基準の木造住宅を、個人的に頼まれ何件か耐震診断したことがありますが、どのお宅も結果は良くありませんでした。ただ診断をした結果、どこが弱点となるのかが把握でき、補強を行わない場合も、大きな揺れが来た時には、どの方向に逃げれば良いのかが把握できるので、それだけでも自らの命を守る事に近づくのではと思います。

そしてこの記事で気になる点は②です。耐震基準が厳格化されたのに倒壊するのか…。と思うかもしれませんが、私がこの状況に疑問に思うのが、倒壊した建物が本当に②の基準に基づいて建てられているか…と言う点です。

実際②の基準になってから5・6年経ってもHD金物をどの様に着ければ良いのか把握していない業者さんも居たほどですし

『おれは伝統工法で建てているから必要ない!』

と言って木造住宅を建てていた業者さんも実際に居たのが現実でした。(お施主さんとしては吃驚ですよね)

そして熊本地震の後ですが、木造住宅に対してのアンケートがありました。そのアンケートでは、耐力壁は基準よりも多く入れているかなど設計者としての考えを聞く質問があり、また、基準を守らせる為に確認申請の時点でもっと審査を厳しくした方が良いか?とありました。

お施主様の財産を守ると言う点で、知らず知らずのうちに基準以下の家に住んでいた事をなくす為には、今以上の厳格化も必要なのかもしれませんが、冷静に考えれば現在ある性能表示制度や瑕疵保険制度の検査などを少し変えるだけで十分に対応可能だと思うのですし、何年もかけて検討する事無く、即対応も出来る筈だと思います。

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